期待はずれの小説。
2004年1月20日 アガサ・クリスティと言えばミステリィの女王である。彼女が作者として上がっていれば、本格推理小説だろうと期待するわけだ。しかし、アガサ・クリスティには別の筆名で発表した小説があって、それはなんということもないホーム・ドラマなんだそうである。その本がいろんな事情でアガサ・クリスティ名義で発表されることになったらしく、ミステリィを期待したのに最後の最後まで殺人も窃盗も起こらないまま終わる「アガサ・クリスティ」があるんだそうだ。
さて、オースン・スコット・カードと言えばSFなのだけれど……いや、そう断ずるにはまだ早い。とはいえ、250ページ読んだのにまだSFにならないってのはどうよ。
さて、オースン・スコット・カードと言えばSFなのだけれど……いや、そう断ずるにはまだ早い。とはいえ、250ページ読んだのにまだSFにならないってのはどうよ。
仕事モードと発送通知。
2004年1月19日 仕事が忙しい。さぼっていたつけが一気に来ただけだともいうが。それでも一仕事やっつけられたので、ちょっと(というかかなり)贅沢な夕飯で個人的に祝ってみた。しかしその後も仕事をするためにビールは遠慮。情けない。
注文していたCDの発送通知がamazon.co.jpから届く。4〜6週間かかると言っていたのだが、思いの外早く確保されたようだ。こういう納期の商品は、照会した挙げ句「入手できません」で注文キャンセルの憂き目にあうこともないではないので、喜ぶべきなんだろう。クレジットカードの引き落としは先だと思って安心していたら、的な不都合はあるんだろうけれど。
で、今日から読み出したのは、オースン・スコット・カードの「消えた少年たち」である。忙しくって読書ログを書いている暇すら惜しいので、暫く書かなくていいように手持ちの本でもっとも長い奴を読み始めたというのが真相であるあたりが駄目だが、これ、SFと書いてある割にはまだちっともSFになってない。これからなるのかな?
注文していたCDの発送通知がamazon.co.jpから届く。4〜6週間かかると言っていたのだが、思いの外早く確保されたようだ。こういう納期の商品は、照会した挙げ句「入手できません」で注文キャンセルの憂き目にあうこともないではないので、喜ぶべきなんだろう。クレジットカードの引き落としは先だと思って安心していたら、的な不都合はあるんだろうけれど。
で、今日から読み出したのは、オースン・スコット・カードの「消えた少年たち」である。忙しくって読書ログを書いている暇すら惜しいので、暫く書かなくていいように手持ちの本でもっとも長い奴を読み始めたというのが真相であるあたりが駄目だが、これ、SFと書いてある割にはまだちっともSFになってない。これからなるのかな?
「村上ラヂオ」読了。
2004年1月18日 ちょっと忙しいので、読書ログは明日以降に。「美しくなければならない」の方は掲載済み。
東京は雪が降るぞと脅されていたので、身構えた人が多かったようだが、結果的に大したことはなかった。
東京は耐雪仕様になっていないので、3cmつもったら大騒ぎである。必ず居るのが、環7の陸橋に上ってしまって降りられなくなるやつ。おかげで大渋滞が起こる。
また、東京が日中氷点下になることはほとんど無いので、積もってもすぐぐずぐずに溶け出してしまう。それこそ、真夏の海の家で若いカップルが見つめ合っている打ちに溶けてしまったかき氷状態である。実に歩きにくい。
雨がふったのと対して変わらないような降りようで、ほっとしている。雪なんてスキー場にあれば十分さ。
東京は雪が降るぞと脅されていたので、身構えた人が多かったようだが、結果的に大したことはなかった。
東京は耐雪仕様になっていないので、3cmつもったら大騒ぎである。必ず居るのが、環7の陸橋に上ってしまって降りられなくなるやつ。おかげで大渋滞が起こる。
また、東京が日中氷点下になることはほとんど無いので、積もってもすぐぐずぐずに溶け出してしまう。それこそ、真夏の海の家で若いカップルが見つめ合っている打ちに溶けてしまったかき氷状態である。実に歩きにくい。
雨がふったのと対して変わらないような降りようで、ほっとしている。雪なんてスキー場にあれば十分さ。
協奏曲「とある一日」(テーマ:雪)
2004年1月17日 雪がふるということだった。
確かに雪が降りそうな空気の冷たさだ。取り敢えず傘をもって外に出た。
電車の中では本を読んでいた。
雪にあったのは帰りの電車を降りたとき。広く取られたオープンスペースに雪はちらちらと舞い込んできていた。
積もりそうな雪ではない。物足りないような、ほっとするような。乗り継ぎの電車にそそくさと乗り込む。
最寄り駅で降りて家路を急ぐ。ちらちらと舞う雪に傘は役に立たないことを忘れていた。
確かに雪が降りそうな空気の冷たさだ。取り敢えず傘をもって外に出た。
電車の中では本を読んでいた。
雪にあったのは帰りの電車を降りたとき。広く取られたオープンスペースに雪はちらちらと舞い込んできていた。
積もりそうな雪ではない。物足りないような、ほっとするような。乗り継ぎの電車にそそくさと乗り込む。
最寄り駅で降りて家路を急ぐ。ちらちらと舞う雪に傘は役に立たないことを忘れていた。
「美しくなければならない」読了。
2004年1月16日 読書ログは今日明日のうちに。
方程式を美しいと感じるかどうかはセンスの問題だ。正確には、美しい方程式とそうでない方程式の違いを見分けるにはそれを理解していることが最低限必要で、その上でセンスがないと美しいと感じることができないということだろう。
この「美しくなければならない」という本を読めばそういう「方程式の美しさ」を感じ取ることが出来るようになるとは微塵も思っていなかったのだが(世の中そんなに甘いもんじゃないよね)、思いの外収穫の多い本だったのも確かだ。
もっと時間がかかるかなと思っていたのだが、結構早く読めたような気がする。ただ、ちょっと頭が疲れたのも事実だ。
で、あまり頭を使わないで済む本を読み始めた。「村上ラヂオ」なんだけれど、特に村上春樹氏をくさす意図はありません。念のため。
方程式を美しいと感じるかどうかはセンスの問題だ。正確には、美しい方程式とそうでない方程式の違いを見分けるにはそれを理解していることが最低限必要で、その上でセンスがないと美しいと感じることができないということだろう。
この「美しくなければならない」という本を読めばそういう「方程式の美しさ」を感じ取ることが出来るようになるとは微塵も思っていなかったのだが(世の中そんなに甘いもんじゃないよね)、思いの外収穫の多い本だったのも確かだ。
もっと時間がかかるかなと思っていたのだが、結構早く読めたような気がする。ただ、ちょっと頭が疲れたのも事実だ。
で、あまり頭を使わないで済む本を読み始めた。「村上ラヂオ」なんだけれど、特に村上春樹氏をくさす意図はありません。念のため。
集中力。
2004年1月15日 帰りの電車の中でも本を読んでいたのだが、隣でしゃべっている男二人の声が耳についてなかなか本に集中できなかった。ついてないなと思ったが、考えてみれば集中力が欠けていただけなのかもしれない。
本が今ひとつ面白くないとなかなか集中できない物だが、そういうわけでもない。体調の不良とかそういうことだったのか?
本が今ひとつ面白くないとなかなか集中できない物だが、そういうわけでもない。体調の不良とかそういうことだったのか?
言うまいと思えど今日の寒さかな。
2004年1月14日 本当は「暑さかな」なんですが。
今日は出版社に校正を送るために郵便局に出かけた。諸般の事情で遅くなってしまったため、集配局の窓口まで行かなくてはならなくなったのだが、外に出ると半端じゃなく狭い。このなかを歩くのかと思うとかなりげんなりしたが、仕方なく頑張って歩いた。
その後の夕食はうどん定食を食べた。やっぱり暖かい物ですね、こんな夜は。あ、考えてみれば鍋焼きうどんだってよかったんだな。
今日は出版社に校正を送るために郵便局に出かけた。諸般の事情で遅くなってしまったため、集配局の窓口まで行かなくてはならなくなったのだが、外に出ると半端じゃなく狭い。このなかを歩くのかと思うとかなりげんなりしたが、仕方なく頑張って歩いた。
その後の夕食はうどん定食を食べた。やっぱり暖かい物ですね、こんな夜は。あ、考えてみれば鍋焼きうどんだってよかったんだな。
寒い日の読書。
2004年1月13日 電車の中は結構暖かいので、冬場でも電車の中の読書にはあまり問題がない。というより、電車の中が望ましい。
次に望ましいのが喫茶店やレストランである。今日は久しぶりに昼食の後でゆっくりコーヒーを飲みながら本を読んだ。
その代わり、公園のベンチで読書というわけにはいかない。デパートの屋上というのもダメ。木陰の読書もできない。
寒い日は寒い日なりに楽しめばいいということなんだよな、つまりは。
次に望ましいのが喫茶店やレストランである。今日は久しぶりに昼食の後でゆっくりコーヒーを飲みながら本を読んだ。
その代わり、公園のベンチで読書というわけにはいかない。デパートの屋上というのもダメ。木陰の読書もできない。
寒い日は寒い日なりに楽しめばいいということなんだよな、つまりは。
休日の外出。
2004年1月12日 休日は商業施設が混雑する。人混みが嫌いなので出来るだけ休日は繁華街に近づかないようにしているのだが、よんどころのない事情があって致し方なくデパートに出撃した。まあ、さっさと買ってきてしまったのだが。
本に関して言えば、最近はインターネットで買うことも多く、ますます本屋からは足が遠のきつつある。池袋は芳林堂が店を閉めたが、そもそもあまり行かなかったので「へ〜」ぐらいにしか思わなかった。しかし、これは出不精だってことでもあるのだよな。ちょっと反省。
本に関して言えば、最近はインターネットで買うことも多く、ますます本屋からは足が遠のきつつある。池袋は芳林堂が店を閉めたが、そもそもあまり行かなかったので「へ〜」ぐらいにしか思わなかった。しかし、これは出不精だってことでもあるのだよな。ちょっと反省。
配送通知。
2004年1月11日 amazon.co.jpに注文しておいた本とCDの発送連絡メールが来た。便利な時代になったものだ。
昔、本やCDを注文しようとしたら、重たいカタログをひっくり返して(今でいうとなんと言えばいいんだろう。電話帳というか、カラオケの歌本?)目当てのタイトルを選び出し、それをみながら注文票にごそごそ書き込んだものだ。今ではWEBサイトにアーティストや作者の名前を打ち込んで検索し、マウスのボタンを押していくだけである。後は向こうから送ってくれる。
どうしても買いすぎになってしまうのが困りものだけれど、こういう便利なツールがあると読書の幅も広がる。といっても、「こんな感じの本が読みたい」ってときには本屋の店頭をぶらぶらする方がずっといいんだけれど。
昔、本やCDを注文しようとしたら、重たいカタログをひっくり返して(今でいうとなんと言えばいいんだろう。電話帳というか、カラオケの歌本?)目当てのタイトルを選び出し、それをみながら注文票にごそごそ書き込んだものだ。今ではWEBサイトにアーティストや作者の名前を打ち込んで検索し、マウスのボタンを押していくだけである。後は向こうから送ってくれる。
どうしても買いすぎになってしまうのが困りものだけれど、こういう便利なツールがあると読書の幅も広がる。といっても、「こんな感じの本が読みたい」ってときには本屋の店頭をぶらぶらする方がずっといいんだけれど。
整頓の成果。
2004年1月7日 部屋の整頓の結果、床がかなり広くなった。寝っ転がるのに不自由しないのは片づける前と変わらないけれど、身体の回りに何もないのは気持ちが良い。
整頓といっても、カオスが部屋の中で移動しているだけだという話もあるんだけどね。まあそれは言わない方向で(笑)
整頓といっても、カオスが部屋の中で移動しているだけだという話もあるんだけどね。まあそれは言わない方向で(笑)
読書ログはどのように書いているのかというと。
2004年1月6日今時、WEBページを作るのにはウェブページエディタ(ホームページビルダーとかフロントページとか)を使うのが普通なのだろうけれど、自分は頑としてエディタで直打ちである。いや、もうエディタという言葉自体が死語なのかも。もはやプログラミング以外でエディタなんて使わないよな。
内容を書くのはそんなに手間ではないのだが、データを書いたりインデックスにリンクを張ったりするのがちょっとした手間だ。だから、中身は出来ているのに更新がまだということが時々ある。
で、今もそういうことなんですが。はい、きりきりFTPします(^^;
内容を書くのはそんなに手間ではないのだが、データを書いたりインデックスにリンクを張ったりするのがちょっとした手間だ。だから、中身は出来ているのに更新がまだということが時々ある。
で、今もそういうことなんですが。はい、きりきりFTPします(^^;
「TVピープル」読了。
2004年1月5日 読書ログは執筆済み。この後FTP予定。
今日読書がはかどったのは、病院に行ったからだ。病院というのは、特に大病院というのは、待ち時間が長い。3時間待って3分診療というのは言い過ぎだと思うが、それに近いようなことは起きる。今日も2時間ちょっと待って20分(もっと短いかも)診療だった。まあ、今日は今年初めての診療日だったので、相当混んでいたのだろう。病院に行くのは本当に一日仕事だ。
というわけで、待っている間は本を読んでいたわけだ。純文学は、しっかり掴むために同じ場所を繰り返し読むことが多いのだが、それでも読み進む暇は十分にあった。正直、疲れて本を閉じることが一度ならずあったのだが、結局全部読んでしまった。
で、次の本だけれど、ここまで結構ペースが速いので、落ち着かせる意味でちょっと長めのやつを読もうと思う。それが何なのかは次の読書ログのお楽しみ。
今日読書がはかどったのは、病院に行ったからだ。病院というのは、特に大病院というのは、待ち時間が長い。3時間待って3分診療というのは言い過ぎだと思うが、それに近いようなことは起きる。今日も2時間ちょっと待って20分(もっと短いかも)診療だった。まあ、今日は今年初めての診療日だったので、相当混んでいたのだろう。病院に行くのは本当に一日仕事だ。
というわけで、待っている間は本を読んでいたわけだ。純文学は、しっかり掴むために同じ場所を繰り返し読むことが多いのだが、それでも読み進む暇は十分にあった。正直、疲れて本を閉じることが一度ならずあったのだが、結局全部読んでしまった。
で、次の本だけれど、ここまで結構ペースが速いので、落ち着かせる意味でちょっと長めのやつを読もうと思う。それが何なのかは次の読書ログのお楽しみ。
3が日も今日で終わりで。
2004年1月3日 毎年3が日が終わる頃にはそろそろ普通の日々に戻ろうかという気になる。今年もそんな感じだ。明日は日曜日なのでもう一日正月休みが続く感じなのだが、そんなことばかり言ってはいられない。
今年も頑張ろう。本も読もう。
今年も頑張ろう。本も読もう。
ネイビー・ファイルな午後。
2004年1月2日 年末からスーパーチャンネルの「ネイビー・ファイル一挙放送」を見ている。見ているといっても後ろに流れているという方が正確なんだが。
日本でこの手のドラマを作るとどうしても外れてしまうのだよなあ。推理ドラマだと温泉になっちゃうし。なんでなんだろうね。
日本でこの手のドラマを作るとどうしても外れてしまうのだよなあ。推理ドラマだと温泉になっちゃうし。なんでなんだろうね。
リッカルド・ムーティーかく語りき。
2004年1月1日 毎年元日は、ウィーン楽友協会大ホールから中継されるウィーン・フィルの新年コンサートを見る。今年の指揮者はリッカルド・ムーティーだった。
このコンサートは、アンコールの最後から二曲目に「美しく青きドナウ」を、最後に「ラデツキー行進曲」を演奏するのが習いとなっているのだが、「ドナウ」の直前に指揮者が短くしゃべって、その後演奏者全員と共に「新年おめでとう(Prosit Neujahr)」と客席に挨拶するのが習慣である。しかし、今年のムーティーの挨拶は長かった。
彼はもともとイタリア人で、英語は明らかに流暢ではなかった。しかし、「この紛争の時代であるからこそ、ヨハン・シュトラウスらの音楽を世界にもたらし、その寂しさと喜びを伝えて世界を一にしたい」という切々とした語りかけには迫力があった。
これは彼が政治的だからというわけではなく、彼自身にとってイラクを始めとした多くの地域で今も行われている争いを自分の隣で起きているかのように感じているからだろう。つい一昔前までは遠い世界で行われていたことだったのが、すぐそばで行われているかのように感じるようになったのだ。それだけ、地球は狭くなったのである。
我々は今まさに時代が転換していくただ中に生きている、そんな気がしてならない年の初め。
このコンサートは、アンコールの最後から二曲目に「美しく青きドナウ」を、最後に「ラデツキー行進曲」を演奏するのが習いとなっているのだが、「ドナウ」の直前に指揮者が短くしゃべって、その後演奏者全員と共に「新年おめでとう(Prosit Neujahr)」と客席に挨拶するのが習慣である。しかし、今年のムーティーの挨拶は長かった。
彼はもともとイタリア人で、英語は明らかに流暢ではなかった。しかし、「この紛争の時代であるからこそ、ヨハン・シュトラウスらの音楽を世界にもたらし、その寂しさと喜びを伝えて世界を一にしたい」という切々とした語りかけには迫力があった。
これは彼が政治的だからというわけではなく、彼自身にとってイラクを始めとした多くの地域で今も行われている争いを自分の隣で起きているかのように感じているからだろう。つい一昔前までは遠い世界で行われていたことだったのが、すぐそばで行われているかのように感じるようになったのだ。それだけ、地球は狭くなったのである。
我々は今まさに時代が転換していくただ中に生きている、そんな気がしてならない年の初め。
今年も終わり。
2003年12月31日 今年は結構いろいろなことがあったけど、読書は進んだ年だった。英語の本を6冊読むという目標も達成できた。
来年は、しばらく遠ざかっているXanthシリーズと、ハリポタ第5巻を読もうと思う。
それでは皆様また来年。
来年は、しばらく遠ざかっているXanthシリーズと、ハリポタ第5巻を読もうと思う。
それでは皆様また来年。