桜の開花。

2003年3月28日
 昨日開花宣言のあった東京の桜だが、今日はまた開花が進んでいた。今週末は花見にはちと早いけれど、来週の末あたりが満開になるのではないかと思う。ここ数年、4月の声を待たずに葉桜になってしまうことが多かったが、今年は冬寒かったのがここまで尾を引いているということなのだろう。

 桜というと梶井基次郎のアレなんだけれど、なぜ彼は桜と死体を結びつけたんだろうね?

反動。

2003年3月27日
 長い長い英語の小説を読んだ反動で、歴史系の新書を読んでいる。戦前の日本の軍隊について書かれた本なのだが、そこで「当然知っているはず」とされている前提を掴み切れていない自分を発見してややたじろいでいる。日露戦争がいつ始まったか知らなくても、第一次世界大戦がいつ始まったか知らなくても、とりあえず困りはしないもんなあ。

 ちなみに、日露戦争の勃発は1904年、第一次世界大戦が始まったのは1914年らしいです。後者は「大戦参加に行く銃士」と覚えるんだそうな。はは。
 読書ログもアップ済み。

 ところで、人間の盾としてイラクに乗り込んだ日本人が日本政府に脱出の安全確保を求めているそうだ(http://www.asahi.com/national/update/0326/003.html)。政府の説得も聞かずに乗り込んでおいて危なくなったら安全確保を要請するとは聞いて呆れる。「盾」というからには死ぬ覚悟で行ったんだろうと思っていたんだが。大体、危なくなったら逃げ出すようなものを「盾」とは呼べない。日本人の恥さらしと言われても仕方がないのではないか。

ほぼ読み終わって。

2003年3月25日
 最近、長く読んだ本を読み終わろうとするときには「どういう読書ログを書こうかな」ということを自然に考えるようになった。ほぼ一ヶ月を費やして読んできた The Redemption of Althalus も終わりに近づいて、あれやこれやを頭の中で考えている。それなりに楽しめた本なので、そんなに悪いことは書きたくないというのもあるし、しかしこれだけは書いておきたいというのもある。

 こういうことを考えるのも、読書の楽しみの一つなのかも知れない。考えた末どうなるかは、(おそらく)明日のお楽しみということで。

ル=グィンのこと。

2003年3月24日
 彼女の作品で最初に出会ったのはゲド戦記三部作である(当時は三部作だったのだ)。

 ファンタジー文学の代表作として指輪物語を挙げる人は多いが、自分が「これぞファンタジーという作品は?」と聞かれたら今でもこのゲド戦記三部作を挙げたい。指輪物語が嫌いなわけではないし(むしろ、そこそこの指輪者であることは自覚している)、あれはあれで素晴らしい作品だと思うのだが、「たましいのあらわれ」((c)河合隼雄)がファンタジーだというのなら、ゲド戦記の方に軍配が上がると思うのだ。

 ところで、何故こんな話をここでするかというと、今日ゲド戦記第5巻となる「アースシーの風」を買ってきたからである。第4巻の「帰還」は正直期待はずれだったが、今度はどうだろうか。読み始めるのはしばらく先になると思われるが、そのうち(多分今年中)に読むつもり。

 ついでに、カート・ヴォネガットの「タイムクェイク」も買ってきた。ついでに、なんて書くとヴォネガット・ファンに怒られそうだな。ちなみに、彼の小説はまだ読んだことがない。
 気が付くともうすぐ3000ヒットである。

 基本的にそんなに面白いことを書いているとは思えないので、自分でもやや意外。日記の内容がそんなに面白くならないのは、「読書」というところからそんなに離れないようにしようとしている(これでもしているんですよ)からなんだが、強いて面白くするのも何だしね。当分これでやっていこうかと思う。

Leaping.

2003年3月22日
 The Redemption of Althalus、読み進んで後80ページぐらい。全体で800ページ弱の本なので、残りが大体10%ということになる。

 今日はかなり進んだけれど、これは飛び越したのではなくてちょっと遠出したからだ。この本はページの進行具合では跳んでいるけれど、読みとばしたわけではない。

 この本を読み飛ばすのは勿体ない。

読書の中休み。

2003年3月21日
 今日は読書休み。

 イラクは地上軍も投入して、ますます本格的になってきたけれど、アメリカはベトナムの轍を繰り返すことになりはしないのだろうか?
 夕食を食べてから喫茶店に行って読書。喫茶店で本を読むのは久しぶりのような気がする。

 ちょっと混んでいて、窓際のカウンターに座って読んでいたのだが、結構「意味のあるうるさい音」があったので、集中を増すために小さい声で音読していた。周りには聞こえなかったとは思うのだが、聞こえていたらさぞや不気味な感じがしたに違いない。

 The Redemption of Althalus も残り150ページ程度。まだどういう結末で終わるのか見通せないが、きっと後5日ぐらいで読み終わるだろう。

 ところで、今日はゲド戦記の第5巻「アースシーの風」の発売日だった。ゲド戦記は1〜3は大変に良かったのだが、4はどうも蛇足のような気がする。5はそれを挽回するのか、それとも更に深く墓穴を掘ってしまうのか。そのうち読みますんで、乞うご期待。

 しかし、ル=グィンもこんだけ時間が開いた後で良く続編書く気になるもんだねぇ。

開戦前夜。

2003年3月19日
 中東には28万人の兵士が展開しているそうだけれど、その中に読書が趣味の兵士はいるのだろうか。いるとしたらどういう本が好きなのだろうか。

 兵士も普通の人間である(少なくともそういった一面を持っている)のだから、みんながみんなトム・クランシーを読むというわけではないんだろうが、ファンタジー愛好家もあんまり居そうにない。

 それにしても、米国にも相応な数のイスラム教徒がいるのは確かだが、おそらく今中東にいる兵士の中にはコーランが愛読書だというのはいないんだろうな。


風邪気味。

2003年3月18日
 東京は夜になって冷たい雨。そのせいか、ちょっと風邪気味。雨は読書を促進する天気なのだが(少なくとも自分にとってはそうだ)、風邪気味で気分がすぐれなくてはなかなかペースがはかどらない。

 それでも着々と進んでいる。Lord of the Rings--The Two Towers の読書ログでは、480頁ぐらいのペーパーバックを評して「長い」と言ってるけれど、800ページのこの本はそんなに長いとは感じない。指輪がつまらないというわけではなく、Eddingsが自分の波長に合っているということなのだろう。
 最近読むペースがめっきり落ちている。そんなにつまらなくなったわけではないのだが、やはりしばらくペースを上げていたツケが回ってきたか。

 残りは250ページぐらいだし、今月中にはどうにかなるんじゃないかと思うのだが。というより、どうにかしなくちゃね。
 ちょっと読書が停滞気味。まあ仕方ないか。しかし、今日はちょっと読んだ。

 明日は長距離電車に乗って沢山読むつもりだったのだが、諸般の事情で止めにしたので明日もあまり読み進みそうにない。すぐに読んでしまうのも勿体ない本だし、それはそれでいいかなとも思うのだが。

残りは300ページ。

2003年3月13日
 The Redemption of Althalus も読み始めて2週間を超したが、残りは300ページをちょっと切ったぐらい。

 自分にとってのいい小説は、読んでる間飽きなくて、結末を先に読みたくならないものなのだが、この小説はまさしくその類の小説だ。おそらく、結末に至るまではまだ二転三転するのだろうが、どういう具合に転がるのか楽しみである。

 読み終わろうとする頃には、きっと読み終わるのが惜しくなっているんだろうな。

Intensive Reading

2003年3月12日
 英語の本を読むときは、かなり集中していないとなかなか頭に入っていかない。字面を追うのはかなり簡単なのだが、それでは上滑りになって「入っていけない」のだ。

 ただ、これは単に集中力を増せばいいというだけの問題ではないようだ。静かな環境でも入っていきにくいことはあるし、電車のなかでも入っていけるときは簡単に入っていける。

 これには、そのときの精神的な状態がかなり影響しているみたいだ。鬱だとかそういったことではなく、物語に対する飢えの程度という意味で。

 今日はちょっとハングリーだったのか、かなり読み進むことができた。全体の半分も超して後350ページぐらい。どうにか今月中に読み終わるのではないかと思う。
 仕事で英語を読むことは多いが、それはある種特殊な領域の英語である。これが普通の英語と思ってはいけないだろうと思う。

 それ以外で英語に接するのは、趣味で読む本のことが多い。しかしそれは殆どが英語で書かれたファンタジー小説なので、これも「普通の英語」とはあまり思えない。

 しかし、「普通の英語」って何だろう。

 英会話で(ある意味で)重要視されるのは、イミグレーションでの会話とか、銀行でトラベラーズ・チェックを現金化してもらうときの会話とか、店で「もっと小さなサイズはないのか」という会話とか、そんなものだが、これは「旅行者に必要になるであろう」という予測が前提としてある。それはその通りだと思うのだが、これを超えたところにあるシチュエーションは様々である。例えば留学する人、野球を見に行く人、ビジネス・トリップなど英語国に行く人にはいろんな人がいるわけで、そういったクラスによって必要とされる英語は異なってくる。

 つまり、「誰にとっての普通か」という問題があるわけで、この「誰」を広く取れば取るほど「駅はどちらですか」「マンハッタンに行くにはどうすればいいですか」的なものになってしまうし、「誰」の範囲を絞り込むと今度は「普通」と言われても「えー?」ということになってしまうわけだ。

 問題の本質は「普通の英語とは何か」ということではなく「英語で何をしたいのか」ということなのだろう。それはすでに英語の外の問題である。英文学、特に英語の詩に親しもうというのでなければ、英語はコミュニケーションの手段なのだから、目的化するのはあまり健全ではないということになる(手段の為には目的を選ばないという考え方もあるわけで、それはそれでいいのかも知れないが)。

 さて、自分は英語で何をしたいのか? やはり仕事で英語の本を読むのと趣味で英語の本を読むということなのだろうな。なんだ、今のままでいいんじゃないか(笑)
 夕食は小洒落たレストランで食べた。

 ちょっといいことがあったときとか、ちょっと疲れた時に使うレストランだが、値段的にはそう高くもない。アラカルトなら2000円ぐらいのものだ。ケジメの問題としてそんなに頻繁には行かないのだけれど、今日は何となくそんな気分だったわけだ。

 例によって読み差しの本をお供に連れて行って、コーヒーを飲みながら読んでいたのだが、こういうレストランだから照明が間接照明で暗いんだよね。このレストランは月1度ぐらいは来ているはずなのだが、暗いなと思ったのは今日が初めてだった。多分この席自体が初めてだったんだろう。

 ムーディーな照明も読書にとってはあまり好ましくないというオチである。ところで、この「ムーディー」というのは和製英語で、英語のmoodyは「ムードのある」という意味ではない。気になった人は辞書を引いてみましょう。

読書の休み。

2003年3月9日
 毎週日曜日は読書の休みである。といっても、普段電車の中で本を読むので、外に出ないで家にいると本を読まないというだけの話だ。家にいるとあれやこれやとすることが多いので、読書にまで手が回らないのである。

 読書がはかどるのは長距離移動の電車の中なのだが、そういや最近新幹線に乗っていない。昨年末に関西に行ったのだ最後だな。今年はスキーにいってないし。
 特に気負うことなく淡々と読み続けている > The Redemption of Althalus

 でも、仲間を集めて似たような構成の敵グループと戦うあたり、なんとなくジャンプのマンガみたいな感じがしないでもない(笑)

 物語のツイストの仕方はますます磨きがかかってきて、これどうなるんよ的楽しみはますます増してきた。どうにか今月中に読み終わりたいもんだなあ。

漸く3割。

2003年3月7日
 800頁の本は流石に読みでがあるが、とりあえず仲間探しの旅は終わった。当初は「多分こういう具合に展開するんだろう」というのが見えていたような気がしたのだが、読み進むと話の筋は思わぬ方向にツイストしていくのだった。

 さて、どうなるんだろうこの話。

< 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 >

 

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

日記内を検索