病院で読書。

2003年3月6日
 大病院に行くと待ち時間が退屈なものだが、自分の場合読書がはかどる時間でもある。今日もとある大学病院の眼科に行ったのだが、診察を受けるまでは結構はかどった。

 しかし、眼底検査のために目薬をさしてもらってからは、薬のせいで焦点が合わなくなってしまって本を読むどころではなくなってしまった。これは誤算だった。眠かったので居眠りしていたのだけれど、本当に眠ってしまうと呼び出しを受けたときに気がつかないので寝てしまう訳にもいかない。MDでも持っていけばよかった。

 ちなみに、特に問題ありませんでした。良かった良かった。
 今、本を読むまとまった時間をなかなかとれなくて、行き帰りの電車で読むぐらいになっている。本来の状態がこれなんだけれど、面白くて分厚い本を読んでいるときはもうちょっと早く読み進みたい気持ちになるのだ。

 週末にかけて、ちょっとばかり時間を割いて読みたいのだが、いろいろとやらなきゃいけないこともあって、そんなに読み進むわけにもいかない。世の中うまくいかないものだ。
 ようやくファンタジー小説っぽくなってきた > Redemption of Althuls.

 ファンタジーにおける魔法のあり方は、作者の創造力がもっとも発揮される場面だ。例えば、アースシーにおける魔法のあり方と、ミドルアースにおける魔法のあり方は全然違う。エディングスの場合、ベルガリアード=マロリオンの世界における魔法と、エレニア=タムールにおける魔法もかなり違っているのだが、Redemption of Althulsにおける魔法のあり方は前者に近い。というより、前者における魔法のあり方の成り立ちをより詳しくなぞっている感じがする。

 漸く第一部を読み終えた。役者が揃ってこれから物語が動き出すところだ。早く先を読みたい衝動に駆られる本なので、思いの外早く読み終わるかも知れない。

今日の読書。

2003年3月3日
 電車の中で数頁、昼ご飯を注文して待つ間に数頁、その後コーヒーを飲みながら数頁。

 物語が若干動き出して、おそらくはこの路線でしばらく続くんだろうみたいな状況がわかってきた。まだまだひとひねりもふたひねりもありそうだけれど、十分期待がもてる展開である。

 それにしても、Eddingsは巧いよなあ、と今更ながらに思う。
 最近腰を落ち着けて読書する機会がなかったので、ファミレスに本を持っていって夕食ついでに長っ尻の読書をしてきた。

 夜7時ぐらいに行って禁煙席を選ぶと、当然のことながら子供連れの人々が多い。でも、子供の叫び声は意味のない騒音なので、耳元で怒鳴られない限りさして気にはならない。普段はもっとうるさい環境(走行中の地下鉄の中)で読んでいるわけだし。

 オーダーしておいた料理が来て、ぱくぱく食べた後で、本を開く。いつもは食事のドリンクはコーヒーなのだけれど、今日は紅茶にしてみた。昔は紅茶一辺倒だったのだが、最近安めのレストランで紅茶を頼むと、ティーバッグにお湯を入れたのが出てきて、レストランに行った気分にならないので、コーヒーに鞍替えしていたのだ。もちろん、コーヒーだってそんなに手をかけているわけではないんだろうけれど、気分の問題は大きい。今日行ったファミレスは、ポットサービスだったので紅茶にして正解だった。

 本は"Redemption of Althuls." 漸く物語が動き出した感じがする。まだ60ページぐらいだが、おおむねの方向というのは大体検討がついてきた。これがどのように裏切られるかが楽しみである。しかし、今日も25ページぐらいしか読んでない。こりゃ本当に3月いっぱいはこの本にかかり切りになりそうだな。

読書のお休み。

2003年3月1日
 ただでさえ読み進まない英語の本、しかも分厚いのを読んでいるのに読むのを休んでしまっては、いつになったら読み終わるものかちっともわからないが、諸般の事情で今日は読書は休み。
 
 詳しいことは省くけれど、肉体的にかなり疲れているときには本は読めないものだ。仕方なくねっころんでテレビを見ていた。こんな時CATVに入ってるとどこかしらで見ようという気になる番組をやっていて助かる。

 あ、こういうときにこそ溜まっているDVDの未視聴版を片づけないといけないのか。
 Althuls というのはこの小説に出てくる泥棒の名前。まだほんの30頁ぐらいしか読んでいないので、どういう話なのかさっぱり見えてこない。

 今のところ、田舎の泥棒が自信たっぷりに都会に出てきのはいいけれど、失敗続きでいいことなし、という話になっているのだが、最初のプロローグで「神が目覚めて時が流れ始めた」なんてことが書かれているんだから、このまま「泥棒失敗物語」で終わるってことはないんだろう、多分。

 英語の本は、今年の1月に"Many Wateres"を読んで以来だけれど、結構すいすい読めているような気がする。Eddingsの英語がわかりやすいのも確かだけれど。
「魔石の伝説7---霊たちへの祈り---」の読書ログは掲載済み。やっぱりファンタジー小説じゃないよな、これ。ハリー・ポッターも純粋な意味でのファンタジー小説かというと、そうじゃないような気もするのだけど、魔石の伝説シリーズのはずれ具合から言えばまだまだましな方だろう。

 いや、ファンタジーの王道から外れていようがどうしようが、面白ければそれでいいのだけれど、ちょっとこれはねえ。

 続いてまたファンタジー。今度は英語の本で、David and Leigh Eddings の The Redemption of Althalus. 792ページもあるので、当分読み終わりそうにない。3月中に読み終わるかな、これ?
 「道徳を基礎づける」の読書ログを掲載したばかりだが、魔石の伝説の最終巻も読み終わった。今日は事情で一日家にいたので、ただでさえすぐに読める本を簡単に読み終わってしまったわけである。

 本当なら、こういうときこそ英語の本を読むのがいいのだけれど、たまたま手元になかったのだよなあ。

 「魔石の伝説」の方の読書ログはこれから書くことにしよう。
 読書ログはこれから。明日あたりに掲載予定。

 むしろ難解な本だったが、読み終わる頃には何となく読み終わるのが勿体ない感じがした。

 一読したときにはあまりピンとこなくても、何度か読むと、あるいは読んでしばらくたってから「あ、そういうことだったのか」と思える本は、自分の基準においてはいい本だ。この本もそういう本である可能性は高いのだが、今のところ読み返すつもりはあまりない。もっといろいろ片づけたい本があるからだが、2年ぐらいしたら読み返す気になるのかもしれない。

 最近、仕事のBGMにジョージ・ウィンストンを流している。

 彼のCDは7枚持っているのだが(Autmn, December, Winter into Spring, Summer, Forest, Plains, All the Seasons of George Winston)、これをMP3にしたものをCD-Rに焼いて、それをWinampでまとめて流しているのだ。いちいちCDを取り替えずに済むので楽だ。

 初期の作品群(AutumnやDecember)に比べると最近のものの方が好みなのだが、どっちにせよのってきたらBGMなんか聞いてはいないので、あまり関係ないとも言える。MP3は真剣に聞くとちょっと音質がよくないのだが、こういうBGM用途には丁度いいような気がする。
 テキストサイトの寿命はだいたい1年ぐらいなんだそうだ。

 この日記はまだまだ1年にもほど遠いのだが、読書ログの方はもう5年目に入っている。例外的に長いと言ってもいいのかもしれない。

 しかし、これだけ続いているのは基本的に自分のために書いているからだ。つまり、読書ログというのは、第一義的には自分のための読書メモなのだ。それをわざわざ公開しているのは、何方かの気散じになればいいと思うからである。

 そういう「内向き」の姿勢は見る人にも伝わるのか、今まで知らない人からメールをもらったことは殆どない。テキストサイトが何らかの特徴的な文章を発表することによって不特定多数とコミュニケーションを交わすことを目的とするものであるならば、「読書ログ」のような書きっぱなしをメインにしたサイトはそもそも「テキストサイト」と言えないのかもしれない。

DVD

2003年2月22日
 友人につきあってDVD売り場を徘徊。実は"The Sting"のDVDを欲しいのだが、売っていなかった。そのうちamazon.comにでも発注するか。

 ところで、DVDは買うと安心してなかなか見ない。本の場合は未読の本が山になっていると「片づけなければ」という意識が働くのだが、DVDは放りっぱなし出ある。映画が多いので、一度見だしたら2時間ぐらいはとられるというのはあるんだけど、それにしてもどうにかならんもんかと思うのである。

 そういや、今日から「二つの塔」が公開されているんだっけ。これもそのうち行かなきゃな。


本の整理

2003年2月21日
 事情があって早急に部屋を片づけないとまずいのだが、読み終わった本をどうするかという問題がのしかかってきている。

 基本的に仮住まいのつもりなので、ちゃんとした本棚なんかを買おうという気にはなかなかなれないのだが、今のように単に積んでいるだけというのも問題があるような気がする。とりあえず箱にでも詰めておこうかなと思っている次第。

 年間50冊ぐらいずつ増えてきているわけだし、無限にはため込んでおけないのも確かだから、そのうち売りにでもいくかねえ。でも、どれもそれなりに愛着があって捨てづらいんだよね(^^;
 現在、著作権法では当分の間ということで本には貸与権が認められていない。

 これは、貸与権が作られた経緯と関係がある。もともと貸与権は貸しレコードという業態が現れてからできたものだ。「レコード」というところが時代を感じさせるのだが、この業態ができたことによってレコードを購入せずに借りて録音してすませる層が増えてきたのに対処するためのものだったのだ。

 しかし、その時点においてすでに貸本という業態は広く行われており、それが著作権者の権利を侵害するとは認識されていなかったので、本については貸与権の埒外とされた。

 さて、レコードその他の音楽的著作物に貸与権を認めて本に認めない実質的理由は何か。それは、簡単に複製を作ることができるかどうかにあると思われる。

 CDの場合、借りて録音すれば複製が手元に残るから買ったのと同じ(といわなくても類似した)状況になる。こうなると買うのと借りるのは等価に等しいので、双方から著作権者が報酬を受けられるようにしないとまずいと考えられたのだ。

 コミックの場合、借りてきてコピーをとるのは不可能ではないがあまり意味はない。紙にコピーをとる場合、1枚10円でコピーしたら本物の方が安くなることがほとんどだろう。スキャナで取り込んでメディアに焼くというのも考えられるが、これはそんなに簡単な話ではない。コミックの値段に比べて相当高いイニシャルコストがかかるからだ。

 このように、複製の作られやすさという点でCDとコミックに大きな差がある以上、コミックにも貸与権をという主張にはあまり説得力を感じられない。

 そもそも、一旦読んだら手放してもかまわないようなマンガしか描いてないからこういうことになるんじゃないのかな、と突っ込んで見たくなりませんか?
 なんでこんなにわかりにくいんだろう。今読んでいるのはフランス語で書かれたものの日本語訳なのだが、これがとてもとてもわかりにくい。確かに題材もそんなにわかりやすいものではないけれど、それにしたってちょっとわかりにくすぎないか。

 そういや、昔第三外国語のフランス語で、スタンダールの「赤と黒」を読んだけれど、あれもわかりにくかった。なぜジュリアン・ソレルはたかが手を握るぐらいであれほどまでに思い詰めなければならなかったのか、いまでも全然ピンとこないぞ。

最近の読書傾向。

2003年2月18日
長い本とか手応えのある本とかを読んでいると、それに慣れてしまって、すっと読める本を読んだときに物足りない。縛られたり鞭で打たれたりしないと駄目な人の感覚もこうなんだろうか。どちらかと言えば否定して欲しいのだが(笑)。

ところで、長い小説でそのうち読もうと積んであるのには、指輪物語の第三部とかがあるのだけどなかなか踏ん切りがつかない。第二部の映画をみてからにしたい。そういや、この映画(The Two Towers)は200分だそうだ。尻が痛くなりそ。
読書ログはもう書いたけれど掲載するのはたぶん明日。

「一年有半・続一年有半」を読んだ反動で、軽め方向に読書テイストが向かっていた。ロバート・アスプリンを「軽い」というと当然文句をつけようかという人も出てくるわけだけれど、これは比較の問題で、たとえばミシェル・フーコーと比べればもちろん、アーネスト・ヘミングウェイやテネシー・ウィリアムズと比べたって「軽い」だろう。もちろん、ロバート・アスプリンの作品の言葉に深淵な意味を探求することは不可能ではないし、それが好きならやったって別にかまわないのだが、それはたとえて言うならオックスフォード英和辞典を漬け物石の代わりにするぐらい間違っているか、文金高島田姿でモスクで礼拝を捧げるぐらいに場違いだ。

かように論旨はずれていくのだが、読書もここらで軌道修正して、ちょっと堅めの本に戻してみた。3月になったら英語の本にチャレンジしてみる予定。

一仕事終わって

2003年2月16日
「銀河おさわがせ中隊」の読書ログは掲載済み。もちろん、これが終わった一仕事ではない(笑)

一仕事終わってまた一仕事という具合に、仕事は続くよどこまでも。今年はスキーに行けそうにないのが残念だ。
 「おじさん、語学する」の読書ログは掲載済みだが、「銀河おさわがせ中隊」の読書ログはたぶん明日。

 こういう「何も考えずにすむ」本って、リラックスするのに丁度いい。こんな本ばっかり読んでいては惚けてしまいそうな気がするが(笑)

 次の本はこの続編で、「銀河おさわがせパラダイス」。惚けそう。

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