ファンタジーの原体験としての「ゲド」
2004年6月18日 「ゲド戦記外伝」を買ってきた。
ル=グィンのこのシリーズは、自分にとってのファンタジーの原体験とも言える本である。正直に言うと、現在ファンタジーに分類されている本の中で最初に読んだのは?という問い方をするなら、佐藤さとるの「誰も知らない小さな国」かメアリー・ノートンの「床下の小人たち」だと思うのだが、ファンタジーのインパクトを最初に受けたのは多分「影との戦い」ではなかったかと思う。
自分は、基本的にはデイヴィッド・エディングスやトールキンを愛でるタイプだから(逆に言うと、タニス・リーが苦手なタイプだから)、ファースト・インパクトが「ゲド」だったのは、多分自分の中で「捻れ」か「歪み」となって残っているのではないかと思うが、これも一種の縁であるし、自分で矯正しようとは思わない。
暫く積んでおくことになりそうなので、今買う必要はあまりなかったのだが(この手の本は買わなかったからといって無くなるわけではない)、結局買ってきてしまった。買わずにいられないのはインプリンティングの一種なのかも知れない。
ル=グィンのこのシリーズは、自分にとってのファンタジーの原体験とも言える本である。正直に言うと、現在ファンタジーに分類されている本の中で最初に読んだのは?という問い方をするなら、佐藤さとるの「誰も知らない小さな国」かメアリー・ノートンの「床下の小人たち」だと思うのだが、ファンタジーのインパクトを最初に受けたのは多分「影との戦い」ではなかったかと思う。
自分は、基本的にはデイヴィッド・エディングスやトールキンを愛でるタイプだから(逆に言うと、タニス・リーが苦手なタイプだから)、ファースト・インパクトが「ゲド」だったのは、多分自分の中で「捻れ」か「歪み」となって残っているのではないかと思うが、これも一種の縁であるし、自分で矯正しようとは思わない。
暫く積んでおくことになりそうなので、今買う必要はあまりなかったのだが(この手の本は買わなかったからといって無くなるわけではない)、結局買ってきてしまった。買わずにいられないのはインプリンティングの一種なのかも知れない。
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