「学術論文の技法[第2版]」読了。
2003年6月28日 読書ログ掲載済み。左上の家アイコンからたどれます。
その昔、「形から入る」というのが大嫌いだった。中身が伴わない外形なんて格好悪いと思っていたのだ。
しかし、考えてみれば、物事のはじまりなんてどっちにしろ中身は入ってないのだ。それは努力して身につけていかなければならないものだ。その努力をやりやすい環境は何か?というと「形」であったりするのだ。
それに、(自分を含む)普通の人は、中身相応の形だったら形に応じた中身で満足してしまうような気がする。それなら、中身よりちょっといい形を備えて、それにふさわしい中身を備えるように努力するようにした方がずっといい。
今でも「中身が伴わないで形だけ」というのはあまり褒められたものじゃないと思っているが、それを理由に形をバカにするのは視野が狭いとも思う。自分も少しは進歩したのかなとも思うが、これを「進歩」と言い放つのはやや気恥ずかしいきもする。
その昔、「形から入る」というのが大嫌いだった。中身が伴わない外形なんて格好悪いと思っていたのだ。
しかし、考えてみれば、物事のはじまりなんてどっちにしろ中身は入ってないのだ。それは努力して身につけていかなければならないものだ。その努力をやりやすい環境は何か?というと「形」であったりするのだ。
それに、(自分を含む)普通の人は、中身相応の形だったら形に応じた中身で満足してしまうような気がする。それなら、中身よりちょっといい形を備えて、それにふさわしい中身を備えるように努力するようにした方がずっといい。
今でも「中身が伴わないで形だけ」というのはあまり褒められたものじゃないと思っているが、それを理由に形をバカにするのは視野が狭いとも思う。自分も少しは進歩したのかなとも思うが、これを「進歩」と言い放つのはやや気恥ずかしいきもする。
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