仕事で英語を読むことは多いが、それはある種特殊な領域の英語である。これが普通の英語と思ってはいけないだろうと思う。

 それ以外で英語に接するのは、趣味で読む本のことが多い。しかしそれは殆どが英語で書かれたファンタジー小説なので、これも「普通の英語」とはあまり思えない。

 しかし、「普通の英語」って何だろう。

 英会話で(ある意味で)重要視されるのは、イミグレーションでの会話とか、銀行でトラベラーズ・チェックを現金化してもらうときの会話とか、店で「もっと小さなサイズはないのか」という会話とか、そんなものだが、これは「旅行者に必要になるであろう」という予測が前提としてある。それはその通りだと思うのだが、これを超えたところにあるシチュエーションは様々である。例えば留学する人、野球を見に行く人、ビジネス・トリップなど英語国に行く人にはいろんな人がいるわけで、そういったクラスによって必要とされる英語は異なってくる。

 つまり、「誰にとっての普通か」という問題があるわけで、この「誰」を広く取れば取るほど「駅はどちらですか」「マンハッタンに行くにはどうすればいいですか」的なものになってしまうし、「誰」の範囲を絞り込むと今度は「普通」と言われても「えー?」ということになってしまうわけだ。

 問題の本質は「普通の英語とは何か」ということではなく「英語で何をしたいのか」ということなのだろう。それはすでに英語の外の問題である。英文学、特に英語の詩に親しもうというのでなければ、英語はコミュニケーションの手段なのだから、目的化するのはあまり健全ではないということになる(手段の為には目的を選ばないという考え方もあるわけで、それはそれでいいのかも知れないが)。

 さて、自分は英語で何をしたいのか? やはり仕事で英語の本を読むのと趣味で英語の本を読むということなのだろうな。なんだ、今のままでいいんじゃないか(笑)

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