Coming of Age Day
2003年1月13日今日は成人の日である。
最近では、新成人の無軌道ぶりが格好の報道のネタになっている。これを根拠に「20歳で成人なんて早すぎるのではないか。22歳にしたらどうか」という意見も出てくる。
確かに、ああいう行動は「大人の行動」とは言いづらいけれど、しかしだからといって一般的に成長が遅くなっているというわけではないと思う。逆に住民投票条例では18歳以上に選挙権を与えていたりするわけで、「成熟する外的条件」はむしろ今の方が整っているのではないか。
問題は、そういう条件が整っているにも関わらず、成熟しないコドモタチが相当程度いることだ。これはむしろ成熟しなくてもどうにかなってしまう状況の方に原因を求める方が正しいだろう。社会の一員として機能せざるを得ない状況の下では、あんな馬鹿をやり続けられるわけがないからだ。
若者は社会全体の鏡であり、若者の問題は社会の問題の現れでもある。単に若者の無軌道ぶりを非難したり嘆いたりするよりは、それが映し出す自分の問題に思いを致す方が生産的ではなかろうか。
最近では、新成人の無軌道ぶりが格好の報道のネタになっている。これを根拠に「20歳で成人なんて早すぎるのではないか。22歳にしたらどうか」という意見も出てくる。
確かに、ああいう行動は「大人の行動」とは言いづらいけれど、しかしだからといって一般的に成長が遅くなっているというわけではないと思う。逆に住民投票条例では18歳以上に選挙権を与えていたりするわけで、「成熟する外的条件」はむしろ今の方が整っているのではないか。
問題は、そういう条件が整っているにも関わらず、成熟しないコドモタチが相当程度いることだ。これはむしろ成熟しなくてもどうにかなってしまう状況の方に原因を求める方が正しいだろう。社会の一員として機能せざるを得ない状況の下では、あんな馬鹿をやり続けられるわけがないからだ。
若者は社会全体の鏡であり、若者の問題は社会の問題の現れでもある。単に若者の無軌道ぶりを非難したり嘆いたりするよりは、それが映し出す自分の問題に思いを致す方が生産的ではなかろうか。
コメント