Manhattan Transfer を聞きながら
2002年12月1日13日のコンサートに備えてManhattan Transferを繰り返し聞いている。
最近の自分は本を読むときには音楽を聴かない。昔は結構聞いていたような気もするのだが、いつのまにか聞かなくなった。本に入っていくと何が鳴っているのか意識しなくなるぐらいのものだからあまり聴く意味はないからかもしれないし、読書という能動的作業と音楽を聴くという受動的な作業(これはあくまで自分にとっては、です)を同時にやることが難しいからなのかも知れない。
もう一つ言えば、昔と比べて音楽を聴くということが自分にとって有する意味が変わってきているということもある。要するに感性が摩耗したということなのだろうけれど、読書の方はあまりそういった変化がない。つまりは自分は読書という作業に逃げ込んでいるのかも知れない。
それでも、久しぶりに音楽を聴きながら何かやるというのは新鮮で良い。このCDには"Route 66"も入っているが、ひそかにこれを好きだった自分は嬉しかったりするのだ。でも、今時Manhattan Transfer をありがたがる人間なんて「古い」と言われてもしょうがないんだろうね(笑)
追記:実は2冊だぶって買ったのは今日読書ログを上げた「少年サッカーからW杯まで」です。
最近の自分は本を読むときには音楽を聴かない。昔は結構聞いていたような気もするのだが、いつのまにか聞かなくなった。本に入っていくと何が鳴っているのか意識しなくなるぐらいのものだからあまり聴く意味はないからかもしれないし、読書という能動的作業と音楽を聴くという受動的な作業(これはあくまで自分にとっては、です)を同時にやることが難しいからなのかも知れない。
もう一つ言えば、昔と比べて音楽を聴くということが自分にとって有する意味が変わってきているということもある。要するに感性が摩耗したということなのだろうけれど、読書の方はあまりそういった変化がない。つまりは自分は読書という作業に逃げ込んでいるのかも知れない。
それでも、久しぶりに音楽を聴きながら何かやるというのは新鮮で良い。このCDには"Route 66"も入っているが、ひそかにこれを好きだった自分は嬉しかったりするのだ。でも、今時Manhattan Transfer をありがたがる人間なんて「古い」と言われてもしょうがないんだろうね(笑)
追記:実は2冊だぶって買ったのは今日読書ログを上げた「少年サッカーからW杯まで」です。
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